「鎌倉殿」と呼ばれた源頼朝は、初代将軍として鎌倉幕府をつくりあげた偉大な人物です。
しかし、彼の死後は御家人どうしの権力争いや承久の乱が起こるなど、波乱の時代の発端となった人物でもあります。
今回はテレビ番組でも紹介された「源頼朝の墓」について、その見どころをご紹介していきます。
鎌倉市にある源頼朝の墓の概要
源頼朝の墓は、鎌倉市の白旗神社の高台にあります。
源頼朝は建久9年(1198年)の12月27日に、相模川の橋供養からの帰路にて稲村ガ崎で落馬し、その落馬が原因で翌年の建久10年(1199年)1月13日に亡くなったといわれています。
しかし、鎌倉幕府の公式記録である「吾妻鏡」からは頼朝の死亡に関する記述が抜けており、現在でも頼朝の本当の死因は謎に包まれています。
頼朝は死後、頼朝の邸宅であった大倉御所の北側にある法華堂に葬られました。
その後、法華堂は明治時代の廃仏毀釈によりなくなってしまいましたが、跡地には頼朝を祀る白旗神社が再建されました。
境内にはいまも、頼朝の墓と伝わる石塔が残っています。
源頼朝の墓の基本情報
●所在地:〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門2丁目5
●拝観時間:自由
●拝観料:自由
●アクセス:JR・江ノ島電鉄「鎌倉」駅より徒歩約20分/京浜急行バス「岐れ道」停より徒歩約5分
鎌倉市にある源頼朝の墓の見どころ
実は頼朝の墓は当時のまま残っているものではありません。
元々は五輪の小さな墓だったものを、安永8年(1779年)に薩摩藩主の島津重豪が再建立したものです。
一説によると頼朝の子孫ともいわれている島津重豪が、祖先の墓を再建するだけでなく、当時の江戸幕府に対して自らの血筋の良さをアピールする狙いもあったとされています。
現在の墓は高さ186cmの五重の石塔になっており、「笹竜胆」という源氏の家紋や「轡十文字」と呼ばれる島津家の家紋が刻まれています。
静かな神社の境内で、鬱蒼と茂る木々の下にたたずむ頼朝の墓は、不思議な雰囲気と存在感を感じられます。
その他の見どころ
源頼朝の墓周辺には、その他にも見ておきたいスポットがあります。
まず源頼朝の墓から東側には、北条義時の墓と法華堂の遺構があります。
遺構は現在の地表より下にあるため実物は見ることができませんが、木杭や石の位置で遺構のおおよその場所を知ることが可能です。
頼朝の墓と合わせて一つの国指定史跡に指定されているため、一緒に訪れたい見どころとなっています。
さらに北条泰時の墓の北方には、毛利季光・大江広元・島津忠久の3人の近世墓や、鎌倉幕府の有力御家人であった三浦氏一族が供養されている横穴式墳墓のやぐらもあります。
それぞれ解説板が設置されているので、実物を見ながらそこにある歴史に想いを馳せることができますよ。
またこれらの史跡は木々に覆われた山の中にあるので、自然を感じたいときにもピッタリです。
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まとめ
鎌倉市にある源頼朝の墓は、頼朝をはじめとする鎌倉幕府の失われた歴史を感じられるスポットです。
豊かな自然を感じられる場所でもあるので、お散歩がてらに訪れてみてはいかがでしょうか?
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